なぜ蝋燭なのか
〜 25年以上、追いかけてきた光 〜
自分がどうしたいのか、わからなかった頃
高校を卒業し
夢を抱いて東京の専門学校へ向かいました。
人も、ものも、情報も、アートも。
あらゆるものが集まる環境はとても刺激的でした。
けれどその一方で
自分がどうしたいのかわからないまま
あれもこれもと流されて
自分を見失ってしまった時期でもありました。
なにが自分にはできるのだろう。
技や個性
突出した表現を目の当たりにしては
そういう世界にいる自分もいいかもしれない。
あれもいい。これもいい。
本当はなにがしたくて、どうありたいのか。
当時はそんなことを考えることすらなかったように思います。
蝋燭だけが灯る部屋
そんな頃、
勧めてもらった展示会へ足を運びました。
会場は古い木造の建物。
キャンドルによる空間演出と 作品の販売をされていました。
訪れたときお客さんは私ひとり。
作者と簡単に挨拶を交わすと
「ごゆっくりどうぞ」
と声をかけてもらい
私は蝋燭だけが灯る空間に
身を委ねていました。
全体がどんな展示だったのかは
もう朧げにしか覚えていません。
ただ、
奥に蝋燭で円陣が組まれた場所があって
なぜかそこへ体が向かい
気がついたら
その円陣の中央にしゃがみ込んでいました。
真っ暗なところに、一筋の光が差した
どれくらいの時間を
そこで過ごしたのかも覚えていません。
ほんの少しだったのか。
ずっといたのか。
蝋燭を眺めていたのか。
目を閉じて
炎の揺らぎを瞼で感じていたのか。
その映像すらもう覚えていません。
そのとき私がいた時空は
真っ暗闇の中に
蹲っている自分
でした。
真っ暗すぎて
右も左も 前も後ろも
上も下も
どれだけ空間が広がっているのかもわからない。
自分がそこにいる姿を
どこかから眺めているのか。
そこにいる自分から
見えている景色なのか。
それすら曖昧な感覚の中で
離れたところから
一筋の光が差し込んできました。
その光が差し込んだ瞬間
なにも見えなかった真っ暗な空間に
「あちらがある」
と、初めて距離を感じました。
その光を頼りに
薄暗がりの中を歩いていく。
近づくほど
少しずつ視界がひらけてく。
見えてきた先に
特別ななにかがあったわけではありません。
ただそこに
一筋の光と そこへ向かっていく私がいました。
「キャンドルはどうやって作るんですか?」
我に返ったあとも その体験について作者に話すことはありませんでした。
かわりに聞いたのは
「キャンドルはどうやって作るんですか?」
それが始まりでした。
教えてもらった 材料を買って試行錯誤。
聞いたのは
材料を溶かして固めればいい。
それくらいのことでした。
うまくできたり
できなかったり。
どうしたらいいんだろう。
こんな形もかわいいな。
そんなことに夢中になって
作っては灯し 灯しては作る。
いつしか
あのとき差し込んできた光が
なんだったのだろうということすら忘れて
ただただ蝋燭を作り火を灯していました。
誰かと火を共有したときに起きることや
そこで生まれる気持ちの変化を知ることも
楽しくなっていきました。
なんで火だったんだろう
それはずっと
自分でもわかりませんでした。
活動を始めてから、
「火に選ばれたんだね」
「他の蝋燭とは全然違うものを生み出しているね」
「あなたにしかできないことをやっているね」
そんなふうに言ってもらうこともありました。
けど、
本人がいちばん
そういうことをわからないまま。
ただ、作ること。
火を灯して眺めること。
ひとりで過ごすこと。
誰かと過ごすこと。
それが楽しかった。
私が作った蝋燭を誰かが灯し
その人がそこで感じたことを
聞かせてもらうのも嬉しかった。
私は施術をする人でも 心をケアする専門家でもありません。
ただ蝋燭を作ってる。
それでも
届けた蝋燭と過ごした人から
そこで起きたことや感じたことを聞くたび
火を通して誰かと関われることに 喜びを感じるようになっていきました。
声のないものとの対話
自分の中に悩みがあったり
どうしたらいいのだろうと選択に迷っていたり。
そんなときにも私は蝋燭と過ごしてきました。
頭の中がたくさんの情報や
選択肢でいっぱいだったのに
火を眺めているうちに
「今の私に必要なのは これかもしれない」
と、ふっと浮かぶことがある。
その瞬間
炎が揺らいだり
大きくなったりすると
まるで一緒に会話していたように 感じることもありました。
以前の私は
炎から声なき声を
受け取っているように感じていました。
けれど長い時間を経て
あれは炎が答えを
教えてくれていたというよりも
蝋燭と過ごす時間の中で
自分の内側にあったものと
出会っていたのかもしれない。
そんなふうに 感じるようになりました。
今こうして文章を綴るときも
そばに炎を置くことがあります。
思い出したり。
あのとき
どんな感覚だったのだろうと辿ったり。
その奥には
なにがあったのだろうと覗いてみたり。
一緒に道なきみちを 歩いてくれているような感覚があります。
ずっと同じではない
25年以上も
どうして私は蝋燭と炎に
魅了され続けているのだろう。
なんだろうね。
やっぱり、
ずっと同じではないからかな。
作る季節。
灯す季節。
配合するもの。
灯す空間や時間。
そして
火を灯しているときの私の状況や気持ち。
いつだって同じことは起こらない。
同じことを繰り返しているようでも
少しずつ変わっている。
走っているときも。
止まっているときも。
ちゃんと私はここにいる。
「今日の私は どんな感じなのかな」
と火を灯す日もあれば
ただテスト燃焼として作業をともにする日もある。
健気さや儚さもありながら
とても力強くて意志がある。
そんな蝋燭を眺めながら
私もそうでありたいな
と重ねている自分もいます。
あの光を、今思う
初めて訪れた蝋燭の空間。
円陣の中で見たあの一筋の光を
私はずっと
見失っていた私を
導いてくれた光だと思っていました。
あの光を目指していけば
なにかがわかるかもしれない。
そんなふうに。
けど、
20年ほど経って
あの光のことを思い出したとき
ふと、見え方が変わりました。
私は光を探していたのではなく
その光が差し込んだ
暗闇の穴を探していたのかもしれない。
その穴の向こうにはどんな世界があるのだろう。
結婚や出産。
いくつもの転換期。
行き詰まることも
生きづらさを感じることもありながら
それでも私は蝋燭を作り、火を灯し続けてきました。
火に選ばれたのだと
思っていたこともありました。
今は、少し違う見方もしています。
あの真っ暗な場所に
光が差し込む穴を開けたのは
誰かでもなく、
未来の私だったのかもしれない。
蝋燭の炎に導かれてきたと思っていた25年間の出来事。
それはもしかしたら
蝋燭を選んだ未来の私から
あの頃の私へと続いていた
ひと筋の光だったのかもしれません。


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