empfangenとは
~迎えるという名前と20年以上歩いてきて~
まだ、名前のなかった頃
empfangenという名前が生まれたのは、 2004年。
わたしと蝋燭との時間は
その少し前から始まっていました。
1999年頃。
初めて蝋燭の炎と出逢い
その光に魅了されました。
当時はキャンドルを販売しようなんて
まったく考えていませんでした。
ただ、
あのとき出逢った光の感覚はなんだったのだろう。
それを知りたくて
キャンドルを作っては
自宅で火を灯す。
また作って、灯す。
そんなことを繰り返していました。
そうしているうちに
誰かにキャンドルをプレゼントしたり
誰かと一緒に過ごす時間に火を灯したり。
私ひとりで過ごしていた火との時間を
少しずつ誰かと共有するようになりました。
誰にも言わないと思っていたこと
あるとき、
友人と火を眺めながら過ごしていると それまで誰にも打ち明けたことのなかった悩みを気がつけば話していました。
話してしまった自分に
自分自身が一番驚きました。
「こんなことを言ったら嫌われる。」
そう思っていたから。
絶対に人には言わないと
隠していたことでした。
けど友人は
それをおかしなことだとは言わず
そんな私をそのまま受け止めてくれました。
あのとき感じたものは
今でもうまく言葉にできません。
開放感というのか。
安堵というのか。
ただ、とても安心したことを覚えています。
火とともに過ごす時間には
固く閉じていたものが
ふっと緩むようなこともあるのかもしれない。
そんな体験が、私の中に残りました。
「empfangen」と出逢う
その後会社員として働きながら 再び心を閉ざしてしまい 仕事を休んでいた時期がありました。
そんなある日
「あ、またキャンドルを作って誰かと共有したいな」
と、ふと思いました。
その頃、不思議な出逢いがあって
私のことを
まだほとんど知らない人から
「個展をしてみないか」
と声をかけてもらいました。
その個展をきっかけに、
キャンドルの活動が始まりました。
活動するなら、名前が欲しい。
火を囲んで感じたあの感覚に近い言葉を探しました。
英語の「welcome」では
私には少し軽く感じる。
もっと深いところに触れるような
言葉はないだろうか。
手元にあったドイツ語辞典を開き
音と言葉を探していたとき
目に入ってきたのが
empfangen
でした。
迎える。歓迎する。
これだ。
ほとんど直感でした。
はじめは「誰かを迎える」だった
名前をつけた頃の私にとって
empfangenは
人を迎えること。
歓迎すること。
受け入れること。
どちらかというと外側へ向いていた言葉だったように思います。
人の話を聞く。
誰かの悩みを聞く。
その人を迎え入れる。
けど
empfangenという名前を掲げて活動し さまざまな人と関わっていくうちに
少しずつ違う問いが私の中に生まれてきました。
それって、自分のことなのでは?
「誰でも迎え入れるんじゃないんか!」
大きな転機になった出来事があります。
当時、関わっていた人との間に
私は距離を置こうとしていました。
そのとき言われた言葉が
「empfangenって、誰でも迎え入れるんじゃないんか!」
確かに。
私は「迎える」という名前を掲げている。
だから
誰でも受け入れなくてはいけないのだろうか。
誰かを迎えるためなら 私が我慢すればいいのだろうか。
相手の話を聞き 悩みを聞き すべて受け入れる。
それは一見
優しくて親切で頼りになることのようにもみえる。
でも
相手の体験も、悩みも、感情も、 すべて自分のことのように背負っていった先で
「わたしは誰なんだろう」と苦しくなりました。
誰かを迎えるために自分を犠牲にし
我慢し続けることは
本当に私が望んでいたことなのだろうか。
迎える、その中に私もいる
その体験から
「迎える」という言葉を
もう一度見直すきっかけとなりました。
人の話を聞くことはできる。
その人の気持ちを受け取ることもできる。
でも、
受け取ることと、背負うことは違う。
その人が体験していることまで
私が背負わなくてもいい。
そして相手の声を聞くとき
同時に、
「私はどう感じている?」
という自分の声も置き去りにしない。
嬉しい私も。
嫌だと思う私も。
近づきたい私も。
離れたい私も。
迷っている私も。
そのときそこにいる自分をまず自分自身が受け取っていく。
いつから「受け取る」という意味を empfangenに重ねるようになったのかははっきりとは覚えていない。
名前をつけた2004年にはまだ今のようには捉えていなかったのかもしれない。
けど、
empfangenという名前とともに
長い時間を過ごしているうちに
外へ向いていた「迎える」が
少しずつ自分へも向くようになりました。
わたしが、わたしを迎える
迎えることは
何でも受け入れることではない。
自分を明け渡すことでもない。
私には私の領域があり
あなたにはあなたの領域がある。
違うもの同士が どちらかをなくしてひとつになるのではなく
それぞれが
それぞれとして存在しながら
出会い、関わっていく。
人と関わり 火と過ごし キャンドルを作り続ける中で 少しずつ教わってきました。
empfangenという言葉の中心には
わたしが、わたしを迎える。
があります。
もう一度、empfangenを迎える
empfangenは
キャンドルを作っています。
けど
完成したキャンドルを お渡しするところだけが
empfangenではありません。
同じようにできあがった蝋燭も
誰かのもとへ渡り
火を灯せば
炎も
蝋の溶け方も
燃えていく時間も
ひとつひとつ
違う姿を見せていきます。
人もみんな同じじゃない。
何かを感じる日もあれば
何も感じない日もある。
ただ蝋燭とともに過ごす。
言葉で解釈することでもなく
説明を聞いて理解することでもなく
その時間の中で
自分の中に何かが生まれることもある。
何も生まれないこともある。
私は
そんな時間も含めて届けていきたいと思っています。
ここしばらく私は
キャンドルやセッションをどう届けていくのか。
活動を続けていくためにさまざまな土台を見直してきました。
その中で、ふと気がつきました。
商品を手にしていただくことばかりを考えて
その前に知ってもらいたかったことを私はまだずいぶん隠している。
火と過ごしてきたこと。
人との間で起きたこと。
キャンドルを通して見てきたこと。
届けた先から返ってきた声。
それらも、これから少しずつ言葉にしていきたい。
そう思えるようになったことも
私自身が迎えているempfangenのひとつだなと感じています。


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